1: 終国速報がまとめています。 2023/06/20(火) 10:33:50.279 ID:H2Q/YqWK0
「トー横キッズ」が社会問題になって久しい。もともと新宿歌舞伎町は治安の悪い歓楽街として知られていたが、ここまで盛んになった理由は意外なものだ。それはここが日本国で唯一の広場であるということにほかならない。
歌舞伎町トーホーシネマズがあった場所はかつて「コマ劇場」が存在し、この地はコマ劇前と呼ばれていた。コマ劇前を作ったのは「歌舞伎町」地名の海の親でもある都市設計家の石川栄耀だ。石川は日本には広場がないことを指摘し、戦後民主主義空間の象徴としてコマ劇前を整備したのである。そもそも広場とは何か。
「広場とは、街の中にある24時間365日常時開け放された自由空間を指します。公園の場合、門が設置されていて利用時間が決まっていたり、遊具があったり植栽が設置されていて大勢が集まることはできませんし利用ルールもありますが、広場はいくらでも人が出入りでき、用途も自由。そういう場所は日本にはないのです」(広場観察家)
確かにニューヨークならタイムズスクエア、パリならコンコルド広場など、欧米諸国は広場がある。しかし日本の場合、街の真ん中にあるのは「交通広場」と呼ばれる駅のロータリーで、車両が停車するスペースであって人が集まる空間は極力排除されている。
「それは統治者が民衆をコントロールする狙いもあります。「アラブの春」はエジプトの中心地のタハリール広場に大群衆が結集しました。また中国ではかつて未遂に終わったが天安門事件は天安門広場が舞台になった。自由に人が集まることができる空間だからこそ、自由を求める人が集まってゆく。社会が抑圧されると不満の発露がそこで生じ、デモや革命につながるのです」(民主化研究者)
石川が手掛けた新宿の広場としては新宿西口地下広場も有名だった。しかしここでは、団塊世代の学生運動の拠点として若者で埋め尽くされるようになったため、当局側は道路法が適用される「西口通路」に改めた過去がある。監視カメラや警備員が大量に配置され、長時間座りこんだりしようものなら警備員がすっ飛んでくるようになった。
コマ劇前に関しても平成の長らくは外周にクルマが行きかう車道が配され、中央はガードレールで囲われ、ただの道路と密閉空間になっていたことを記憶する人は多いかもしれない。これにより新宿から、日本国から完全な広場機能のある空間は消えていた。しかし・・・
「コマ劇閉鎖後の再開発により、一帯空間はシネシティ広場に整備されました。
これにより車道もない全面的な広場空間が復活したのです」(新宿区民)
そこに国や時代を越えた人間社会の「なりゆき」として、Z世代の若者たちのはけ口が発生するのは当然であろう。彼らは親が就職氷河期世代にあたるため、生まれる前から貧困状態にさらされている。かくして新自由主義に明け暮れる自民党政府の庶民冷遇、若者軽視の無策の被害者たちのたまりにたまった社会不満が彼らを非行に走らせ、その祖父母に当たる団塊世代のアングラカルチャーに勝るとも劣らない空間が新宿に発生しているのだ。
昭和の学生運動が沈静化して半世紀以上が経ち、今の日本には今さらデモが起きたり暴動に発展することなどないという常識感覚が社会の統治者にも広まっている。その結果、意図的に抑制されていた「市民社会」形成・成熟のための場が、再開発によって出現し、トー横に発展しているのである。
「自民党の支持者は財界の経営者や地方の既得権益にすがった高齢者層です、都会の勝ち組爺ちゃんと田舎の爺ちゃんの集まりで、都会の持たない側の若者とは対極にあるわけですから、トー横的な若者の広がりが、やがて民衆運動に広がる可能性だってあるわけです」(政治評論家)
実際問題、戦後直後の台湾で軍事政権に反対する二・二八事件は、ヤミ煙草を売りのひとりの女性を当局が取り締まった際にブン殴ったことに同情する形で台北市民の不満が爆発、総決起に発展した。「治安維持」のためにささいなことを取り締まろうとすると、やがて大きな動乱のウネリになってしまうというのは世界の大衆運動の歴史を振り返ればわかることだ。「トー横で治安が乱れているのになぜ規制をしないのだ」という声もあるが、うっかりやり方を間違えれば困るのは当局の側であるということが最大の理由ともいえよう。
歌舞伎町トーホーシネマズがあった場所はかつて「コマ劇場」が存在し、この地はコマ劇前と呼ばれていた。コマ劇前を作ったのは「歌舞伎町」地名の海の親でもある都市設計家の石川栄耀だ。石川は日本には広場がないことを指摘し、戦後民主主義空間の象徴としてコマ劇前を整備したのである。そもそも広場とは何か。
「広場とは、街の中にある24時間365日常時開け放された自由空間を指します。公園の場合、門が設置されていて利用時間が決まっていたり、遊具があったり植栽が設置されていて大勢が集まることはできませんし利用ルールもありますが、広場はいくらでも人が出入りでき、用途も自由。そういう場所は日本にはないのです」(広場観察家)
確かにニューヨークならタイムズスクエア、パリならコンコルド広場など、欧米諸国は広場がある。しかし日本の場合、街の真ん中にあるのは「交通広場」と呼ばれる駅のロータリーで、車両が停車するスペースであって人が集まる空間は極力排除されている。
「それは統治者が民衆をコントロールする狙いもあります。「アラブの春」はエジプトの中心地のタハリール広場に大群衆が結集しました。また中国ではかつて未遂に終わったが天安門事件は天安門広場が舞台になった。自由に人が集まることができる空間だからこそ、自由を求める人が集まってゆく。社会が抑圧されると不満の発露がそこで生じ、デモや革命につながるのです」(民主化研究者)
石川が手掛けた新宿の広場としては新宿西口地下広場も有名だった。しかしここでは、団塊世代の学生運動の拠点として若者で埋め尽くされるようになったため、当局側は道路法が適用される「西口通路」に改めた過去がある。監視カメラや警備員が大量に配置され、長時間座りこんだりしようものなら警備員がすっ飛んでくるようになった。
コマ劇前に関しても平成の長らくは外周にクルマが行きかう車道が配され、中央はガードレールで囲われ、ただの道路と密閉空間になっていたことを記憶する人は多いかもしれない。これにより新宿から、日本国から完全な広場機能のある空間は消えていた。しかし・・・
「コマ劇閉鎖後の再開発により、一帯空間はシネシティ広場に整備されました。
これにより車道もない全面的な広場空間が復活したのです」(新宿区民)
そこに国や時代を越えた人間社会の「なりゆき」として、Z世代の若者たちのはけ口が発生するのは当然であろう。彼らは親が就職氷河期世代にあたるため、生まれる前から貧困状態にさらされている。かくして新自由主義に明け暮れる自民党政府の庶民冷遇、若者軽視の無策の被害者たちのたまりにたまった社会不満が彼らを非行に走らせ、その祖父母に当たる団塊世代のアングラカルチャーに勝るとも劣らない空間が新宿に発生しているのだ。
昭和の学生運動が沈静化して半世紀以上が経ち、今の日本には今さらデモが起きたり暴動に発展することなどないという常識感覚が社会の統治者にも広まっている。その結果、意図的に抑制されていた「市民社会」形成・成熟のための場が、再開発によって出現し、トー横に発展しているのである。
「自民党の支持者は財界の経営者や地方の既得権益にすがった高齢者層です、都会の勝ち組爺ちゃんと田舎の爺ちゃんの集まりで、都会の持たない側の若者とは対極にあるわけですから、トー横的な若者の広がりが、やがて民衆運動に広がる可能性だってあるわけです」(政治評論家)
実際問題、戦後直後の台湾で軍事政権に反対する二・二八事件は、ヤミ煙草を売りのひとりの女性を当局が取り締まった際にブン殴ったことに同情する形で台北市民の不満が爆発、総決起に発展した。「治安維持」のためにささいなことを取り締まろうとすると、やがて大きな動乱のウネリになってしまうというのは世界の大衆運動の歴史を振り返ればわかることだ。「トー横で治安が乱れているのになぜ規制をしないのだ」という声もあるが、うっかりやり方を間違えれば困るのは当局の側であるということが最大の理由ともいえよう。
【「トー横キッズ」が発生した理由、専門家()によって説明されてしまう😲】の続きを読む